PAPER
ままごとの新聞 第22号
2018年12月1日発行
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2018年12月1日発行
ままごとの新聞 第22号
今年は合わせて4カ月、台湾にいました。2月は台南で高校生たちと『我的星球(わたしの星)』を、8月は台北で『我並不哀傷, 是因為你離我很遠(わたしが悲しくないのはあなたが遠いから)』をつくり、どちらも稽古を進めながら台本を書き直し、ほぼ新作の公演となりました。こんなに長く異国にいたことは初めてで、この4カ月の時間は僕を少しずつ変えたと思います。
例えば台湾華語(中国語ともちょっと違う台湾の国語)がわかるようになりました。自分が書いた台本の対訳を見ながら毎日、稽古していたわけですから当たり前といえば当たり前なんですが、少しだけ、本当に少しだけわかるようになったのです。また台湾華語に囲まれる中で、日本語や自分の言葉についてよく考えました(なぜ自分のしゃべる文章は長いのか、など)。なにげない言葉が伝わった瞬間の喜びは、現在進行形で言葉を覚えている息子の感覚を追体験しているようで、久しく忘れていた感動でした。
帰国後、韓国でさまざまな作品を発表しているイ・ランさんの音楽ライブを拝見する機会がありました。未知の言語を聞きながら感じる体験は懐かしく落ち着くものでした。ずっと日本語に、意味に、囲まれている時間から自分を開放することはとても重要だと今は思います。言葉につなげて、台本の話を。台湾で執筆、稽古するうちに今まで僕は「言葉の演劇」ばかり作ってきたのだとつくづく感じました。
言葉以外への演出、例えば身体や空間への演出の比重が大きくなる稽古の中で、今まで僕になかった演劇への可能性を感じたのです。もしかしたら僕にも「身体の演劇」が、例えば無言劇やダンスが作れるかもしれない。日本語を手放したことで、初めてそう思えました。『我並不哀傷, 是因為你離我很遠』の冒頭が30分ほぼ一人芝居だったことは、あの環境だったからこそ出来たことだと思います。
しかし、とにかく楽しかった。特に台南には今も恋い焦がれています。今すぐにでも行きたい。そんなふうに思える場所は、なかなかありません。小豆島を初めて訪れたとき、これほど長く関係が続くとは思っていませんでした。台湾もそうなることを願っています。台湾ですれ違ったすべての人たちに感謝を。あと台湾でほぼ毎日飲んでいたヤクルトを緑茶で割った「多々緑茶」にも感謝を。謝謝。
ままごとの新聞 第22号
上演から約2週間を経た10月中旬。
本作の作・演出を手がけた柴幸男と、本作の源になった「わたしが悲しくないのはあなたが遠いから」に出演し、本作では演出助手を勤めた小山薫子が、「台北東京距離計畫―我並不哀傷, 是因為你離我很遠」のクリエーションを振り返りました。
台湾版では、2つの劇場のうち1つが「わたしが〜」を踏襲した形、もう1つは完全新作で、前者には三世代それぞれの小愛が、もう一方は悲劇に晒され続ける小逝とギターが登場。作品は別々に進行していきました。
小山 私は日本での最後の打ち合わせしか参加できなかったので、「台北東京距離計畫─我並不哀傷, 是因為你離我很遠」の構想を、実はよくわかってなかったんです。8月上旬に台湾での稽古が始まってから初めて、片方が東京版を踏襲した“普通の人生を生きてきた人の物語”で、もう一方の新作は“悲劇を演じ続ける人の物語”になると知って。
柴 台湾稽古の初日に知ったってこと?
小山 そうですね。日本での最後の打ち合わせで見せてもらった舞台美術の図面にメリーゴーランドが書いてあったけれど、実はあれもよく理解しておらず……。
柴 メリーゴーランドのイメージは、結果的に作品に反映されたかも。“悲劇のメリーゴーランド”っていうか、例えば火事、地震といった悲劇が順々に回ってくるイメージがあって。予算の都合で実現はしなかったけど、最終的にステージ上にステージを作って、俳優は天井から降ってきた“悲劇の台本”に応じて、そのステージの上で悲劇的なシーンを演じる、という構造になりました。だから作品の終盤でステージをみんなで動かしたのも、メリーゴーランドのイメージの名残り(笑)。台湾でのクリエーションは、結果的に見ればすんなりいったと思います。ただ稽古場の雰囲気作りや稽古の展開のさせ方にはすごく苦労しましたね。俳優さんは、(この日台共同プロジェクトのプロデューサーである)新田幸生さんに全員集めてもらいました。彼らは本当にいい俳優さんたちだったんですけど、彼らがどういう個性を持ってるかとか、彼らとどういうフォーメーションで作品を作るかということを僕自身が掴むまでに、ちょっと時間がかかってしまって。
小山 稽古では、みんながよく車座になって話していることが印象的でした。ストーリーについてもテーマについても、とにかくみんなよくしゃべるので、話し合いの時間が長かった。台本にのっとって稽古するというより、ざっくばらんな状態からシーンを作っていく感じがしましたね。
柴 日本版でもそういう作り方だったとは思うけど、台湾版はよりその時間が長かったかも。「わたしが悲しくないのは~」の台本を皆さん読んでくださってたので、悲劇との距離とか、遠くで起きている悲劇にどう向き合うべきかということをテーマにした作品だってことは、最初から共有できていたと思います。そこに対する意識のズレや揺らぎはまったくなかったんですけど、“悲劇的な事柄に対する実感”は、日本と台湾で少し違うんだろうなとは思いましたね。例えば僕は4カ月間台湾に暮らしましたけど、人身事故で電車が止まることが一度もなかった。でも日本では、都心に向かえば向かうほど人身事故が多くなる。そういった部分でも死に対する感覚は違うのではと思いました。
柴 今回、出る側から観る側になってどう感じたの?しかも自分が演じた役を、異国の人が新しいキャラクターとして演じてて。
小山 最初に今回の台本を読んだときは、日本版とは違う感動がありました。“この登場人物は実はこんなことを考えてたんだ!”って。私が演じた息子役も、「この人はこの後、きっと母親のもとに帰ってこないんだろうな」って想像してたらその通りの展開になっていて……。息子の成長した姿を知ることができてちょっとうれしかった。
柴 へー!
小山 言葉が違うから、自分が出ていたという意識とは切り離れてて、今回は観る側として客観的に「この間がいいな」と感じたりしましたね。
柴 僕は、同じキャラクターを新たな10人に当て書きした感じで、そのことによってキャラクターが育ったというか。東京版キャストから台湾版キャストへ新しい身体を通したことで、キャラクターを育ててもらった感じがしています。新作については、東京版を作ったときから影は見えていたけどどう作ったらいいかわからなかったものが、今回のキャストに出会ったことでできた部分があるので。そういう意味でも、言葉や創作の環境を変えるのはすごくいいことだと感じましたね。
柴 今年は4カ月台湾に滞在したんですが、そんなことが自分の人生の中であるとは思わなかった。それは新田さんが作ってくれた機会ですし、新田さんに人生を変えてもらった感じがすごくあります。新田さんは、知れば知るほど謎な人。すごく大変なことも大変そうでなく実行してしまう行動力があるし、日本と台湾を行き来しながら常にいろいろなことを同時進行させているんですね。また新田さんは日本では新田幸生、台湾では陳汗青という名前を使っていて、日本語はすごく巧みだけど日本人的な感覚だけでは理解できない部分もあるし、同時に台湾人的な感覚だけでは理解できない部分もあると思う。日本と台湾、両方の感覚をマーブル状に持ってる、新しい人なんじゃないかなと。グローバリゼーションが深化していけばなおさら、新田さんのような感覚を持った人が増えていくと思うので、ある種未来の人を見ているような感じがあります(笑)。なので、新田さんがこれからどんなことがやりたいのか、何を仕掛けたいのかということはすごく気になっています。
ままごとの新聞 第22号
ままごとの新しい拠点となる新事務所ができました。
劇団員たちがSNSなどで少しご紹介している通り、引っ越しから事務所の設営まで各メンバーが行いながら、ちょっとずつ事務所らしい体裁になってきました。
詳細は後日ご紹介いたします!
また、新劇団員加入に伴い、メンバーの似顔絵がリニューアルされました。
イラストを手がけているのは、ままごとのチラシなどを多数デザインしてくださっているセキコウさん。似てますか? 似てますよね!?
ままごとの新聞 第22号
第22号では台湾で上演された「台北東京距離計畫―我並不哀傷, 是因為你離我很遠」の振り返りを中心にお届けしました。余談ですが、作品が上演された臺北藝術大學の学食は安くてとっても美味しかったです(笑)。次号もぜひお楽しみに!